大人が子供にできること ~先生がくれたあの瞬間~ 後編
晴れない空
思えば、ずっとつまらない顔をしてたのは私でした。
練習中も、先輩の話を聞く時も、普段廊下ですれ違う時も。
そんな後輩をよく思う人間なんているはずないのです。ましてや血気盛んな中学生なのだから。
重たい空の下、重苦しい雰囲気の中で、チームはボールを追いました。
作戦なんて大そうなものはなく、ただ全力で走って相手にぶつかり、個人技とクリアパスで、とにかく前へ前へボールを運んでいました。スタイルなんて概念は無い、ただのがむしゃらサッカーでした。
スコアは覚えていないけれど、あの得点シーンだけが頭にこびりついています。
さとしの打った鋭いシュートを相手キーパーが弾き、こぼれたボールを私がスライディングで押し込みました。「やった!!」と思いました。
しかし、その喜びは純粋に得点を決めたことではありませんでした。
「これで先輩達が褒めてくれる」と思ったのです。
こころの奥ではもう先輩との関係に疲れ、なびいてしまいたかったのです。この得点をきっかけに関係が修復できる、そう思いました。孤独は、もう十分でした。
しかし、表情が高揚する私に向かって、先輩が放った言葉は
「さとしナイッシュー!
…やま!今のはさとしの得点だよ!お前ももっと撃って行かなきゃダメだよ!」
ついに、
時間が止まりました。
もう無理…
曇り空に光の割れ目が見えることはなく、しとしとと雨が降り出すような感情が、私の表情を固めていきます。
自分はなんでここに立っているのか。得点を決めても喜ばれないなら、もう何をしても認めてもらえないじゃないか。
そもそも、俺が全力で走り込んでなければ、得点は入らなかったんだぞ…
声を掛け合ってチームを盛り上げようとする先輩達と、私の気持ちを察して複雑な表情を浮かべる同級生達。
こんなバラバラなチーム、強くなるわけがない
「なんで…」
涙と一緒に漏れた言葉には、怒りが滲みます。
もう、嫌だ…
センターサークルに戻る気力も失せてしまいそうな、
次の瞬間
「やまぁぁぁーっ、ナイスシュートだぁぁ!
そういうプレイが1番価値があるんだぁぁ!」
広いグラウンドに響き渡ったのは、空間を震わせるような、先生の叫び声でした。
あの瞬間があったからこそ
世間で自己肯定感が謳われるようになって久しくなります。
自分に自信を持って生きて行く、それがなかなか難しい時代だったからこそ、これからの世代には大切な要素である事は間違いありません。
私は現在のところ、自己肯定感の欠如を感じてはいません。自信満々とは行きませんが、これまでの36年間で経験した浮き沈みが、今の私を肯定してくれていると思ってます。
誰にでも訪れる人生の浮き沈みを乗り越えて来れたのは、紛れもなく周囲で支えてくれた人達です。
私には、自分を肯定できた瞬間で、とても強く印象に残っている記憶があります。
それが、先生から叫びかけて貰ったあの瞬間です。
心がすーっと晴れていく感覚、分かってくれてる人がいる安心感、先輩の気まずそうな顔。あの瞬間はきっと一生心に残り続けるでしょう。
大人が子供たちに出来ることは何でしょうか。子供を見守るのは大人の役目ですが、単純なものじゃありません。その子がいま必要な言葉は何か。その子の心が折れそうな時を見逃さない。絶対に分かるように、聞こえるように言う。それが見守るという事だと思うのです。
大人の声掛けは大きい。
その励ましの言葉が、その子の中に一生残る事もあるのです。
あのグラウンドで響き渡った叫び声のように。
おわり