見えない育児について
なぜ育児は疲れるのか
見えない家事育児、という言葉があります。
掃除、洗濯、食事の準備等、書き出せたり目に見える作業とは違って、言葉にするのが難しい「気遣い」の部分のことだと、私は思っています。
日本人の気遣いは素晴らしい文化ですが、育児に関しては国籍関係なく気遣い無しでは成り立たないでしょう。
おしめ替えにしても、ただ単に汚れたおしめを脱がせてウンチを拭いて、新しいおしめを履かせてゴミを捨てる、というだけでは無いはずです。
おしめの状態を確認して、替えるかどうかの判断から始まり、ウンチの状態はどうか、残りのおしめ数は充分か考えます。
そして、いつもの排泄ペースと違ったり健康なウンチでなければ、体調不良を心配し食事はどんなものがいいか考えます。
一日を通して2〜3時間おきにおしめをチェックしますが、それを忘れてパンパンになったおしめを長時間はかせてしまった時は、子供に申し訳ない気持ちになります。
実際におしめを替える行為は全行程のほんの一コマに過ぎなくて、大部分は一日中、頭の片隅でぐるぐる回転し続けているのです。
そしてもちろん、育児はおしめ替えだけではなく、他にもたくさんの事が同時進行で頭の中を動いているのです。
この状態が相当疲れます。
常に子供のペース
育休が始まった頃、私はなぜこんなに疲れるのか分かりませんでした。毎日やる事はそんなに変わらないので、慣れてしまえば難しいことはありません(子供が体調を崩してなければ)。しかし、息子の昼寝に合わせて自分も休憩しないと一日を動き通せません。不思議でした。
しばらくして気付いたのは、育児というのは「常に」子供のペースで動くということです。
会社の仕事であれば、予期しない事態が起こって予定が狂うことはあるものの、基本的には「自分のペース」で仕事に集中できます。そもそも自分の仕事に集中することを求められます。
家では自分の事ではなく、子供のペースで物事を進めます。
そして、基本的に計画通り進みません。自分がトイレに行くのだって、ドアを少し開けて息子の呼びかけに応えながら用を足すのですから。
自分の一日を自分のペースで過ごすのと、自分の一日を他の人のペースで過ごすのと、疲労度は違います。当然、子供のペースに合わせる育児はとても疲れるのです。
育児休業中の私の楽しみは、息子が寝た後の読者タイムでした。
次の日に備えて気力を養うためには、自分の時間を持つことは本当に大切でした。
息子には夜早く寝てもらうため、日中はできるだけ体を動かして疲れさせたりしてました。
どうか分かって欲しい、この疲労感
こんなにも大変なのに、その見えない部分はなかなか伝わりません。
仕事に比べて育児は簡単だと思う人がいますが、それはこの見えない育児を知らないからではないでしょうか。
自身が経験したこと無いのであれば、是非とも経験者の話を聞いて想像して欲しいと思います。「いつも家で子供と一緒にのんびりできるなんて、いいな〜」なんて発言をしてしまう前に…
伝わり辛いからこそ、これからも経験者として発信していきたいと思います。
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。