父との思い出
子供の頃の記憶
あれは確か小学校高学年の頃、普段からうまの合わなかった同級生とケンカをしました。
そんな大袈裟なものではなく、殴り合ったりもせずに、お互いに両手で掴み合って睨み合ったところで、先生や同級生に止められる、という全然大した事ではありませんでした。
子供の頃はよく友達同士でケンカするものだと思いますが、この出来事ばかりがやけに頭に焼き付いています。
恐らくケンカをした事よりも、その日に父が話してくれた内容がやけに印象に残っていて、それがこの思い出を際立たせているのだろうと思います。
ケンカの相手は身体の大きな同級生で、足も早いし力も強いし、しかもイケメンという男の子でした。
しかしながら、怒ると手が付けられなくなるタイプで、その日のケンカもそんな彼の行為を注意したのがきっかけでした。
お互いに両手に目一杯力を入れて、数分睨み合ったところで、駆けつけた先生や周りにいた友達に引き剥がされました。
次に覚えているのは、その後の帰り道。
手がジンジン痛くなってきて、力の違いを見せつけられたようでした。
手の痛さと敗北感で涙がこぼれ落ちました。一緒に帰ってた友人が心配してくれて、その優しさがさらに泣けてきたのを覚えています。
父の話
私の父は自営業をしていたので、学校から帰るといつも家にいました。
その日は泣きながら帰った私を見るなり、何事かと声をかけてきました。
父の顔を見た途端にまたもや涙が溢れてしまいました。父は、うまく話せない私を落ち着かせながら、手に湿布を貼ってくれました。
そして、眉間にしわを寄せながらしっかり話を聴いてくれました。
その時に父が私にくれたのは、こんな話でした。
「どういう体勢だった?両手同士で掴み合って押し合ったんだな?そういう時は相手の押す力を利用して逆に引いてしまえばいいんだよ。そうすれば相手はバランスを崩すから。ほら、ちょっと練習してみよう。」
まさかの「ケンカ理論」でした。
父はよく子供の頃の武勇伝を語ってくれました。
本人曰く、子供の頃は相当強かったようで、1人で十数人を相手に喧嘩をしたこともあった、という話は何回も聴かされてました。
そんな父は、ケンカに負けて泣いて帰った息子を見て悔しかったのかもしれません。
今の時代では批判されそうな話ですが、当時の私は何故かそのアドバイスを素直に聞いて、「ちょっと練習してみよう」と言う父を相手にちょっとやってみたりしました。鼻水をすすりながら、柔道の技なんかも一緒に習いました。
いつの間にか、涙は止まっていました。
練習したからといってリベンジを誓うわけでもなく、ただケンカの仕方を父から教えてもらっただけでした。
父なりの励ましだったのか、個人的な悔しさから出たのか、それは分かりません。
でも、私が確かに感じたのは、父の「一生懸命さ」でした。
私の中に残ったもの
翌日登校すると、ケンカ相手の彼の方から申し訳なさそうに話かけてきました。
昨日はごめん、とかそういう言葉は無くて、確か「次の授業は音楽室でやるらしいよ…」という感じの、仲直りのきっかけを探すような声掛けでした。
私もそれを素直に受け止め、そこでケンカは終了しました。
きっと子供っていうのはそんな簡単で素晴らしいものなんだと思います。
あの時の父は、どういうつもりでケンカ理論を伝授してくれたのでしょうか。
もう本人も覚えてないかもしれません。
父はよく、私たち兄弟に向かって「お前達は本当に覚えてないんだな!色々なとこに連れてってやったのによ〜」と不満を言います。
でも、もしかして子供の中に残るのは、どこに行ったとか何を買ったとかではなくて、「自分に対して一生懸命にやってくれた事」なのかもしれません。
そういう思い出は記憶というよりも、心に染み込んでいって、少しずつ1人の人間を作って行くような気がします。
今の私は、父や母や他にも沢山の人たちの「一生懸命さ」から出来上がった人間なのです。
私はどれだけ息子に一生懸命になれるでしょうか。
ケンカは教えられないけど、きっと私なりの何かを通じて息子の中に「父親」を残して行けたらと思います。
その後も、父から教わったケンカ理論を発表する場はなく、もうすっかり大人になってしまいました。
しかし、あの時の悔しくて温かい記憶はいつまでも私の中に残っているのです。
おわり