息子が川崎病で入院した話 前編
人生でこんな夏は初めて
夏の後ろ姿がとても遠くに感じる今日この頃。秋を感じる涼しい風が吹いています。
思えばこの夏はずっと息子の病院通いで終わりました。7月に手足口病、8月にRSウィルスと溶連菌と、各種ウィルスに侵されている間は、夫婦でそれぞれに仕事と看病のやりくりに追われ、心身共に疲労困憊でした。
そして迎えた9月。3連休が連続してある素晴らしい月です。
8月の終わりに中止になった温泉旅行の代わりにどこかに行こうと、妻は胸を躍らせ計画を練っていました。
しかし、宿の予約は前日までせず、息子の体調が崩れない事を直前まで見張ることに。
「よし、明日予約しよう」と話して眠った翌朝。息子の体温は見計らったように38℃を記録し、あっけなく、この夏2度目の旅行中止が決定しました。
その日のうちに掛かりつけ医を受診し、いつものように息子が大好きなシロップの薬を処方してもらいます。念のため、血液を採取しウィルス検査も受けました。
うな垂れながらも、再び方々へのやりくりに追われた私たちですが、この時はまだ、これから起こる入院騒動を予感していませんでした。
発症
その日から息子の熱は続きました。おかしいのは、熱が上がり切らず下がり切らず、37.5℃〜38.5℃の間を行ったり来たり。他の症状はありませんし、高熱ではないため息子も元気です。しかし熱がある以上、やはり保育園には行けません。
熱が下がらないまま4日後のこと。日中に面倒を見てくれていた母からの指摘でリンパが腫れて首が膨らんでいる事に気付きました。
「いつから腫れていたんだろう…」
子供はよく熱を出す、という定説に寄りかかり、いつもの発熱と高を括っていた私は息子の細かい変化を見逃していました。これまでと違う症状に不気味なものを感じました。
翌日に再度かかりつけ医を受診すると、オタフクの可能性を指摘され、検査のため再び血液を採取しました。この時に前回の受診時に採った血液からはウィルス等の異常は見られない事を伝えられました。
オタフク検査の結果は時間がかかり、連休明けの翌週になるとのこと。予約を入れておいて、今までと変わらず家で安静にしていました。医師からは連休中に大きな変化があれば休日外来へ行くようにと言われました。
しかし、その2日後、息子の身体に発疹が現れ、目が充血し始めたのです。
深夜の受診は避ける、という判断
週末時点の息子の症状は、目の充血、腹と膝の発疹、微熱、リンパの腫れ、でした。それでも息子は元気で家の中を走り回ってます。妻とは突発性湿疹ではないか、と話していました。とにかく週末が明けたら病院に訊いてみることにしようと。
私には深夜外来や休日外来という、いわゆる緊急的な受診に強い不信感を持った経験があります。
数年前、深夜の嘔吐と酷い頭痛で我慢できずに病院に向かったことがありました。そこで待っていたのは、明らかに面倒臭そうに診療をこなす中年の男性医師でした。卓上ライトの光が眩しく頭に響くと訴える私に向かって、半笑いでそのライトを向けてきた彼の顔は、今でも怒りとともに記憶しています。
割り増し料金を取られた挙句、不快な想いをするなら、もう少し我慢して朝に受診すれば良かったと、強く思ったのです。
こういった経緯があったため、新たな症状が現れても息子が元気である限りは緊急外来に行くという選択肢は浮かびませんでした。
しかし、3連休が明けた火曜日。いつもの病院に開院時間と同時に職場から電話をかけて週末に現れた症状を伝えると、電話口の看護師から「今すぐに診せに来てください」と言われたのです。
医師の診断
私は、今から実家にいる息子を拾って病院に行くので1時間半くらいかかる、と告げると、
「お爺ちゃんがみているなら、今すぐお爺ちゃんに連れて来てもらってください。病院でパパとバトンタッチすればいい」とのことでした。
看護師さんをそんなに焦らせる状態だったのかと、私は青ざめました。
会社をすぐに早退し、高速に乗って車を飛ばしました。運転中も、自身の浅はかな判断で息子に重大な事が起こっているのではと胸が張り裂けそうになりました。
病院に着くと個室に通され、そこで息子が看護師さんに症状を診てもらっていました。
朝に出ていた発疹は薄まり、熱も36℃代まで下がっていました。
少しだけ安心したのも束の間、その後の医師による診断で、川崎病の可能性を告げられたのです。
つづく