息子が川崎病で入院した話〜後編〜
不安な親、元気な子供
病院と職場と家を行き来する生活はやはり大変でした。母にも「付き添いシフト」に入ってもらい、夫婦2人+ときどき母、の3人交替制で回しました。それぞれに仕事があるため、空く時間、休める時間を共有し、病院でバトンタッチしながら生活しました。
忙しい中でも、併発病の恐れは常にあり、早くこの危険期間が過ぎてくれと、願っていました。
大人達のそんな不安をよそに、息子は本当に元気。
入院翌日には身体中に付いていた管も外れて、目の充血も含めて川崎病の主症状は全て消えました。看護師さん達にも可愛がってもらい、息子としては楽しい毎日だったことでしょう。看護学生の若い女子に囲まれて上機嫌で笑ってる彼を見た時は「末恐ろしいな…」と心配になりました。
あとは、心臓に瘤が出来ない事をただ祈るばかりでした。
父親のできること
入院した大部屋には当然他の子供達もいるわけで、カーテン越しに聞こえる泣き声がとても痛ましく、心が締めつけられます。
しかし、子供達の声と一緒に聞こえてきたのは、ママ達の疲弊しきった溜息でした。
最大4家族が入る大部屋で、個人空間を仕切っているのはカーテン一枚。申し訳ないくらいの家庭の状況が聞こえてきます。
あるママは、入院した子を看病しながら自宅で待つ子の世話もして、応援で遠方から駆けつけた義母の食事の用意等、日常家事育児に加えて病院での看病と、とても忙しそうでした。そして消灯後に泣き出す子をなだめる気力は無いようで、力無く、よしよしと声をかけているのが、とても辛そうでした。
一度だけ、電話でパパと話をしている声が聞こえてきましたが、その声色も話す内容も穏やかではありませんでした。
また別の家庭では、日曜日にパパが看病に来たかと思ったら、パパの大きないびきが室内に響き渡りました。いびきと一緒に聴こえて来るのはママと子の会話。いったい、パパは何のために来たのか…
当たり前ですが、小児の入院は24時間付きっきりです。これは自宅での付きっきりとは全く違い、格段にストレスが溜まります。
病院では、すぐ隣に別の子が寝ているわけですから気遣いが必要です。また、食事消灯など決められた時間があるため制限が増えます。
入院は、家庭生活がそのまま場所を変えただけでは無い事を、もっと認識しなければなりません。
そして、入院に限らず、育児というのは夫婦で同じ熱量で向かわなければなりません。仕事が忙しかったり病院が遠かったりして、毎日見舞いに来る事が出来ないとしても、電話やメールでその日の状況を確認する事は出来るはず。
「毎日心配してる」その気持ちをしっかりと家族に見せる。それは病院に行けない親の大切な義務なのです。
チームで乗り越えた入院
1週間経っても、息子の心臓に瘤は現れませんでした。
病院食もよく食べ、運動の代わりに昼寝をした息子は、心なしか少し丸くなった印象です。
退院の日、仕事から帰宅すると久しぶりにテレビの前で踊っている息子がいました。ただいま!と、おかえり!を、同時に呼びかけます。
最後のエコー検査でも暴れる事なくジッと検査を受けていて偉かったと、妻から聞きました。医師からは「エコー検査で暴れない1歳児なんてなかなか居ない!100人に1人の逸材だ!」と太鼓判を押され、勲章を付けて帰って来たような、一つ成長した息子です。
しかし、驚いたのは、その後の定期検診の予定です。なんと5歳になるまで年に一回は病院での検査が必要との事。改めて未解明の大変な病気だったんだと、恐ろしくなります。
何はともあれ、無事に退院でき、今のところ元気というだけで幸せです。
今回のような家庭の一大事は、家族が一致団結して立ち向かわないと、誰かが疲弊したり信頼が崩れたりします。逆にチームとしてぶつかれば、ぶつかっただけ結束力は強まり、その後も壁を乗り越える力がついて行くのではないでしょうか。
最後に、今も川崎病や他の理由で入院している子供達とそのご家族の皆さんが、笑顔で退院する日を願って、このエッセイを締めたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
おわり