誰が愛を難しくした
混み合う週末の釣り堀。
年配の釣り人、の隣で釣りをするパパと娘の親子。
なかなか釣れず苦戦するパパと、熟練の感覚でひょいひょい釣り上げる匠な釣り人。
娘は魚がいっぱい入った匠のバケツをマジマジと覗き込む。
それに気付いた匠が「ちょっと待っててね」と声をかける。
次に当たりが来たら、その子に釣らせてあげようという考え。
「はい、お嬢ちゃん、来たよ!」と釣竿を渡し、「おーすごいね、釣れたね」と褒めてあげる。
パパにも「この魚、あげるよ。好きなだけ持って行きな」
今日初めて会った見ず知らずの親子。それでも相手が笑顔になるだろうと思う事を、躊躇なくする。
それって愛だと思う。通りすがりの愛。すごくシンプルな思いやりの気持ち。
とある雑誌で「誰が愛を難しくした?」という歌詞を見かけた。
今の時代、誰かに親切にする事にも注意が必要になった。
「相手に迷惑では?」「パパの面目丸潰れじゃん」「小さな女の子に話しかけて大丈夫なの?」
みんな、そんな鎖に縛られてパッと行動出来なくなっている。
もちろん、相手を思いやる気持ちが大切で押し売りになっては行けないけど、それを怖がって人間同士の繋がりやコミュニケーションが無くなるのは寂しい。
私もそう。
子供の頃はあんなに近所の大人達にお世話になったのに。
楽しませて貰ったり、良い事と悪い事の区別を教えて貰ったのに。
大人になった私はどうだ?
時代は流れ、世間でおこる色々な悲しい出来事が私の心も閉ざしたのかもしれない。
突然差し出されたこの親切は本物か?私の親切は相手にどう映ってるのか?
私の中にもいた、あの気前の良いオッさんはどこに行ったのだろう。
いま、自分が子育てをしていて思うのは、周囲の優しさが凄くありがたいという事。
息子に笑顔を向けてくれたり、泣いてる時に笑わそうとしてくれたり、見ず知らずの人の愛に心が軽くなる。
私もそんな姿を見せてあげれば、息子もきっとシンプルに誰かを愛する事ができるのだろうか。
おわり