大人が子供にできること ~先生がくれたあの瞬間~ 前編
「さとしナイッシュー!
…やま!今のはさとしの得点だよ!お前ももっと撃って行かなきゃダメだよ!」
キーパーが弾いてこぼれたボールを、すべり込んでゴールに押し込んだ私に、先輩が掛けた言葉は賞賛ではなく、棘のように刺す冷たいアドバイスでした。
「なんで…」
土のサッカーグラウンドには確かに味方がいたはずなのに、私の孤独感はもう涙と一緒に外に溢れ出ていました。自分の居場所はここには無い。ついに心が折れてしまうところまで、落ちていました。
憧れた先輩達
小学校で町のサッカークラブに入っていた私は、中学でも迷わずサッカー部に入りました。
当時は怖い先輩がたくさんいて、厳しい上下関係がありました。片足だけ大人の世界に突っ込んだような中学生の私は、噂に聞いていた世の中の荒波を何とか泳ぎ続けていました。
強豪チームではなかったものの、当時の3年生は目標である地区大会を目指して一生懸命でした。そんな姿がカッコよくて、恐怖と憧れが同居する感情で一緒にボールを追いかける日々を過ごしました。私も経験を買われ、1年生ながらベンチに入れてもらい、初めて渡された背番号18の青いユニフォームはとても重みがありました。
もしも出場機会があったらミスできない…と重圧に押し潰されそうな気持ちを抱えて大会に望んだ記憶があります。
目標は達成されずに先輩達は引退して行きましたが、あの時に彼等が流していた涙は、何かに打ち込む事の美しさを教えてくれました。
先生
当時1年生だった私をよく気に掛けてくれる先生がいました。
サッカー部の顧問であり学級担任でもあったその先生は普段の私の様子を良く見ていて、やま!良くやったじゃなか、やま!お前しか出来ない事だぞ、やま!浮かれるなよ と、褒めたり叱ったり、思春期の私を上手にコントロールしてくれました。
先生がする社会の授業は知的好奇心を掻き立て、その後、私が地理や歴史といった社会の科目ばかりが得意になったのは、その先生のおかげです。
教室に置いてあった鉢植に掃除の雑巾を絞りながら「早く大きくおなり」と極悪非道な振る舞いをしていた私にゲンコツをくれたのも先生でした。
小さな田舎の中学でしたが、私を学級委員や生徒会長に推薦してくれたのもその先生でした。当時は気付きませんでしたが、そういった大役を誰にやらせるかと考えた時に、私に声を掛けてくれるというのは、本当にありがたい事でした。あの経験があって、今の私です。
曇り始めた中学生活
秋になり、2年生を中心とした新チームになりました。
絶対的だった3年生が抜けて勘違いしてしまった2年生は、信頼を伴わない権威を振りかざし、チームの雰囲気は停滞して行きました。そんな状況を不満に感じていた私を2年生達も良く思わなかったようで、次第に私がどんなプレーをしようと批判されるようになりました。
ミスをすれば当然のように叱られ、良いプレーをしてもより良い判断があったはずだと叱られる。
いま思えば、あれはイジメだったのかもしれません。どんどん部活に行くのが嫌になりました。
努力して手に入れた訳でも無い、ただの年功序列で回って来たちっぽけな地位を振りかざす、そんな先輩達が嫌でした。
しかし、口答えできずにただ飲み込む自分と、見返す程の努力もしてない自分に情けなさも感じていました。ミスをしたらまた何か言われると、余計なプレッシャーに負けてはシュートを枠外にふかす日々でした。
思い出すのは灰色の空
そんな悶々とした日々を過ごしていた秋のこと、隣町の中学校と練習試合が組まれました。
嫌々ながら会場である相手チームのグラウンドへ行き、先生の指示に従って準備をします。早く終わって欲しい。それだけでした。
先輩たちは楽しそうに会話をしながらユニフォームに着替えています。その明るい会話すら、自分を遠ざけているように感じてしまいました。
日本海側特有の鉛色の空と、前日に降った雨でぐちゃぐちゃのグラウンド。冷たい風。
私の心を表すような色味の無い景色の中、キックオフの笛がならされました。
つづく