PAPA pa pa pa

パパが6カ月の育児休業をとって知れたこと

育児と遭難

 

父の舟 

 皆さんは、パングラオ号という舟をご存知でしょうか。それは5年ほど前に、私の父がベニヤ板で手作りした小さな舟です(みんな知ってるわけない)。

 

 その舟は、父の冒険の夢であり努力の結晶でした。父と私と私の友人を乗せ、試運転のために海に浮かべ、なかなか上出来だったので少しだけ沖に出たところ、見事に沈没しました。

 

 潮の流れもあり、バタ足では陸に帰れなかった私達は、近くを通った小さな漁船のおっちゃんに助けてもらったのでした。笑い話です。

 

 あの時は、このまま広い海に流されて誰にも気づかれずに沈んでいくのだろうかと、最悪なシナリオが頭をよぎったものです。

 

育児と遭難

 大きな地球の中で、自分が1㍉にも満たない小さな存在であると感じることは、時に癒しで、時に不安になります。

 

 少しくらい嫌なことがあっても、世界の大きさと比較すれば大したことはないと、切り替えるきっかけになりますが、逆に大きなものに飲み込まれてしまう、あるいは誰にも気付かれずに取り残されてしまう、そんな感覚もあるのです。海でプチ遭難したことのある私は特に。

 

 家で一人で育児をしている人が、社会との接点が無くなり孤立してしまうケースがあります。全てが切り離され、ポツンと一点になったとき、その人はどんな気持ちなのでしょうか。

 

 私はそんな状況に陥いりがちな現代の育児と、日本海で遭難することの共通点を思わずにはいられません。 

 

ほっぽり出されたあの日

 私達の息子が生まれた日の夜、産んだ疲労も産後の不安も関係なく、定時に部屋に運ばれて来る息子に妻は授乳しました。それをみて、育児の残酷なまでのノンストップさを実感しました。考える暇もないし、休憩する暇もない。そして2〜3日で退院し、優しく心強かった助産師さん達ともお別れです。

 

 ついこの間生まれ、まだ目も開けず皮膚も柔らかいこの小さな命が、もう私達の一任になる。当たり前の話ですが、実際にこの重圧を感じた人は多いのではないでしょうか。想像で考えていたより10倍くらい重いのです。

 

 私ですら、大海原に放り出されたような感覚になったのに、妻はその比ではなかったでしょう。

 

 もしも両親が近くにおらず、パートナーからも気持ちを分かって貰えない状況の人がいるとしたら、それは本当に辛いことだなと想像します。だからこそ、育児は孤独になってはいけないのです。

 

何が母を孤独にするのか社会で考える 

 まずは何よりも、「母なんだから」という責任を母に集中させる文化を無くさないといけません。家族も会社も、そして本人ですら、その余計なプレッシャーを当事者に与えてしまい、それが遭難を生む最大の原因です。家事育児は夫婦で分担するもので、さらに言えば子供は地域で育てるものです。

 

 その横の繋がりを強めるためには、社会全体が出産育児に対して深く理解することが必要です。今までそれは女性にばかり押し付けられて来ました。近年は男性の育児休業を承認する流れも生まれており、こういった文化が日本に醸成されれば、育児する人たちが暮らしやすい世の中になるはずなのです。

 

 そしてその文化は、次の世代に受け継がれ、さらに次の世代へと続いていきます。

 

パングラオ、ありがとう 

 父のパングラオ号はあえなく沈没しましたが、自作の舟で海に出ようとするチャレンジ精神は私も引き継ぎたいです。私が妻と育児をする姿を息子が見ているように、何歳になっても挑戦する姿を息子にみてもらい、我が家の次世代バトンを繋ぎたいと思うのです。

 

おわり